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「詩」と「死」と「視」/マキナ

詩というものを意識し始めたのは小学生の高学年の頃か。
GLAYの歌詞に触れ、涙した。しかしそれは物語としての「歌詞」であって、「詩」ではない。
(私はこの世で一番GLAYが好きですが、タクロウ氏の歌詞に共感できない人間です。彼の歌詞は、真面目に頑張っている人間にしか共感できないだろうし、私は真面目に生きていけない人間なので、悔しいけれど彼の言葉に共感できないのです。)

母はTHE YELLOW MONKEYが好きだった。私もそれを聴かせてもらった。
…なんという世界!
衝撃だった。吉井氏の「歌詞」は完全に「詩」であり「文学」であった。
その言葉の選び方や並べ方、言い回し。その世界。センスというものを知った。
なにもかもが私にはショックだった。
それからは聴く音楽を歌詞で選ぶようになった。(今は音で選んでいるが)
花吹雪からプライマル。の流れに心を揺さぶられ、泣きながら小学校を卒業した。

中学校時代、好きな歌詞をノートに書き写し、それを切り取って折りたたみ、ポケットに入れるというお守りの真似のような行為が流行した。(と言っても私とその友人たちの間でだけだが)
好きな詩に触れるたび、私の中で何かが疼いていくのが判った。私も言葉を綴りたいと思ったのだ。私は友人たちに提案した。「詩を書いてみようよ」
遊び半分のつもりで友人たちと机に詩を書いては見せ合う。
「これはいい」「これはどういう意味?」「なるほど判るかも」
そんな他愛もない遊びはいつしか私の中で大きななにかに膨れあがっていった。
そして中学3年の終わりごろ、テキストサイトを立ち上げた。
HTMLと格闘し、なんとか形になったサイトに自分の思いの丈を綴る。それは今読み返せば中二病の戯言だが、その時は最高の出来だと思っていた。
その後もただ小難しい言葉を偉そうに並べただけの薄っぺらい詩作は続いた。

そんなぬるい詩を完全に壊されたのがあの日。恋人が自殺したあの悪夢の夜。
何もできなくなった。何も書けなくなった。生きることさえ出来なくなりそうだった。
私の詩には「死」がたくさんあった。「血」がたくさんあった。
けれどもそれは虚構で、ただの妄想で出来た嘘の言葉だった。
死ぬことの意味を知らずに死を書いた自分はなんと愚かしかったのだろうか。
彼への懺悔を綴った。もう届かないと知っていても、謝り続けなければならない。私が死ぬまで。彼を忘れぬように。
彼の死を受け入れる。彼の死を許す。彼の死を認める。
私はもう一度、詩を、死を書き始めた。
以前とは全く違う、愛と死を見つめることが出来るようになった。

話は変わるが、cali≠gari(GOATBED、XA-VAT)の石井秀仁の歌詞が好きだ。
彼の言葉からは意味が見えない。本当に意味があるのかないのか判らない。
だが彼の言葉の選びは耳に心地よく、歌詞カードは一つの芸術作品とさえ言ってもいい。
ひらがなカタカナ漢字アルファベット、全てがバランスよく配置されている。造語と言葉遊びのバランスも最高だ。
曲と相性の良い言葉(聴いて心地の良い音)を選んでいるのかどうなのか真意は不明だが、耳に入るその「音」は、私を色彩の宇宙へ誘う。
これを聴いて私は、意味のない単語の羅列でも芸術にまで昇華できると知った。「音」というものの大きさを知った。
私には共感覚がある。文字に色がつき、音からも色を見ることが出来る。その点から見て、彼の歌詞は、曲は、絵画なのだ。
ここからまた詩への情熱が燃え上がる。
彼のようなダサさとカッコよさの境ギリギリの造語を作り組み上げたい。
どうにかうまく文字を組み合わせたい。文字で「絵」を描きたい。
ただ背景に写真や絵を組み込んだだけでは「視覚的な詩」とは言えないことを彼から学んだ。(石井氏の真意は不明だがw)

私の詩は作風がころころと変わる。影響を受けやすいのだ。
素敵な文字を見つけるとそれをすぐに吸収して、自分なりの言葉に変換する。
言ってしまえばパクリなのだが、それでもいつかは本当の言葉を言えるようになるだろう。
poem24に出会い、様々な詩人を見た。色彩を見た。世界を見た。
私はそれらを吸収し、さらに成長したいと思う。上には上がいることを知った。だから私も上を目指す。
出会えた詩人たちに感謝を込めて。
「ありがとう」を言いたい。「好きです」と言いたい。


written by マキナ(twitter ID/d01or3s)
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