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博愛主義者Uの恋文/上原広輝

正直、詩への想いなど文章にするに値しないものだと、これを書き出した今でもそう思う、だけで、実はそうでもないかも知れないなんて、そんな適当な考えで長々と連ねようとしている俺に、しばしお付き合いをば。

これはきっとどんな表現方法にも言えることなのだけれど、俺にとってポエムはラブレターだ。例えば親愛なる君への、雄大な自然への、生命の神秘への。ここまで博愛主義なのかと、苦笑することすらある、いつだって、愛を囁いている。
つまりポエムは手段だ。でも時を経て今は皆の詩を読んでなんたら、などと美談にする気はさらさらない。自己陶酔、ただそれだけの話。回を追うごとに輪が広がっていくのを見ながら感じることは皆大体同じだろうからそこは割愛。なんかもうこの時点で袋叩きにされそう。アカウント炎上しそう。

話を少し戻して。#poem24のタグ検索で勝手に拾い上げては他人のラブレターを読んでいるように気恥ずかしくなることが多々ある。文章から書き手の気持ちを読み取るのに昔から長けていたから、きっと大半は合っているだろうけれど、でも。自分のことは棚上げして、「いや、ストレートに言えよ」、となる。

それでは伝わらないことがあると、知っているくせにそうやって。


そんなような気持ちとまた別のものと、まあ良く分からない感情が昂るうちに、募るものがあった。折角送ったラブレターに返事もないのでは、と、そういう一種のヤキモキ感が。誰に宛てている訳でもないというのに、返ってくるアテがないというのに。そこから生まれたのが、そう。言わずと知れた(とかなんとか言って知名度は低いが)、【呼応詩】だ。
これが本題と言っても過言ではない。
「初めて参加したのは俺が後に主催者の定位置に就く和賀さんを良く知らずしかもポエム24という名がついていない時だった」とか、「お題提出者に指名された時の為に二桁単位で書き出していた上で出したお題が目測だった」とか、そんな自慢話は人に聞かせるでもなく心の片隅で小さな誇りに思っていたかったから。けれど既に記憶は埃を被っていた。思い出せるよう、一応、ここに書き留めておく。


それで、まあ。ポエム24がお題と24時までの高揚を共有するものだとするならば、呼応詩は長い時間と思考をシンクロさせるものだと思っている。深い深い脳髄の底へ潜って、息も出来ぬままになにか形のないものをお互い必死に探して、そしてその間だけ、繋がれている気がする。

(なに、結局、それも独りよがりの妄想に過ぎないじゃない。)

言うがいい。罵ればいい。やはりそうだろうかと悩むかも知れない。けれどそれが真実だ、偽ることはしない。文章で嘘を吐くことが可能だとして、文章に対して嘘を吐くことなど出来はしないのだから。性格が滲み出る、とか、頭の良し悪しが分かる、とか。そんな生易しいものでなく。文字は、その人を映し出したスクリーンのようで。
紡ぐ文字は恋文の、俺自身きっと愛そのものなのさ。


ここまで言っておいて今更だが、文章に秘めた想いを読み取る力はない。意味など知れたことがない。だけど、ねえ。貴方の一部を掬ったと信じて。ああ、それでも、尚。
(欲しいと願う、冒頭からここまでのこれは、また。)
(愛し貴方への、ラブレター。)


written by 上原広輝(@kisei_uehara)
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