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例えば、/桜歌

例えば、僕がTwitterをしていなかったら。
例えば、フォロワーさん達がTwitterをしていなかったら。
例えば、ポエムなんて書いてなかったら。
例えば、例えば。
色んな道があって、色んな選択肢があって、辿り着いたこの終末点とも言えない僕の居場所はまだ実質的には通過点なのでしょうが。
はじめまして、桜歌と申します。ここでは僕が詩を書きはじめたきっかけとpoem24への想いを綴っています。暇つぶし程度に付き合ってやってください。

まず僕がTwitterを初めたのは、一年と少しほど前、学校を転校して馴染めなかったころでした。
複雑な家庭で、生きているのが嫌になって現実逃避ばっかりしていて。
友達も遠く離れて。
悲しくて辛くて涙さえ出なくなった時、Twitterを始めました。
感情を吐き出すことを知らなかった僕には「なんでも呟ける」場所が心地よかったです。
それから、色んな人に出会って別れて出会って。もうすぐ一年、という時に和賀さんを知りました。
そして初めて詩を書きました。
詩を書けたのは和賀さんのおかげ、ですね

でもその時の僕の詩は感情そのものでした。それも負の感情を吐露したもので。

poem24というものを知ったのは和賀さんに出会って暫くしてからでしたが、お題から詩をつくりだすということがすごくすごく魅力的でした。僕の詩は詩ではなく感情でしたから。
それはそれで詩と言えるのかもしれませんが、とにかくお題という不特定な型、というよりほんわかした何かで確立された詩が僕にはとても綺麗に見えました。色んな人が色んな想いを込めて吹くシャボン玉のような。ふわふわとしたそれは似たようなもので、確かに違う。

よく分からない例えですが、とにかくこんなに協調しながら個性を打ち出せるなんて!と思ったのです。

それからは出来るかぎりpoem24に参加しまくり、詩垢なるものも作ってしまいました。

うれしかったです。

ぽえったらーとして僕がそこにいる、こんなに存在を認めてもらったのははじめてで、とてもうれしかった。
だからきっかけをくれた和賀さんが、poem24が大好きです。感謝しています。本当にありがとうございます。

まだまだぽえったらーとして未熟な僕ですが、poem24をとおしてもっとぽえったらーさんと仲良くできたらな、と思います。


例えば、今読んでくださっているぽえったらーなアナタと僕が相互フォローでなかったとして。

どうぞ、アカウントを教えてください。フォローしにいきます。

この文章が出会いのきっかけになればうれしいです。

それでは、長々と付き合ってくださってありがとうございました。




例えば、サヨナラという言葉を知らなかったとして。
僕はそれでも推敲の無い世界へ飛び込んで行く。


------------------------------
ぽつり、落としたことば。
沈黙と静寂と無音。
ぽとり、誰かに届くことのない言の葉。
落としても沈黙は破られず静寂は静寂で音はやはり無い。
ぽつん、一人。膝を抱えて眠る夜はまだ明けない。
(鏡を見ないと見えない、唯一の誰かへ向けたことば) 
#poem24
------------------------------
『焦燥(感)』篇より


written by 桜歌 詩垢
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明日、/昏並稲

“いつだって、どうしても伝えたい言葉は、「ありがとう」。”



poem24は、僕にたくさんの出会いをくれました。
“ポエム”なんて、リアルじゃなかなか共有できないもので繋がった、奇妙な知り合いがたくさんできました。


だからこそ、僕にとって大切なのは「poem24」ではなく、「奇妙な知り合い」の方。
きっかけがpoem24だったっていうだけで。


ちなみに僕は「お題なんてそんなもんなくたってポエムは書けるよ!!」なんてそんなこたありません。
だって僕にとってのポエムは「書ける/書けない」のではなくて「書きたい」ものだから。

書けないのはお題があるときだろ。っていうのが僕です。

まぁ「ポエム」っていう呼び方も未だにしっくりこないんですが。


だから、poem24は必ずしも必要じゃないんです。

知り合いがまた懲りずに新しい企画考えるでしょうし。僕はいつも何もしてませんが。


ただ、ハジマリがpoem24だっただけ。

だから、今日はお礼を言いにきた。



あなたから、もらったものがあります。


ありがとう。




明日、

明日全部なくなるとしたらどうする、なんてベタなお題はもういいけど

明日いなくなろうと思ってさ


だから。


また、いつかの24時にお会いしましょう。





のぎへん



P.S.

明日いなくなろうと思ってさ

だから。

アニメ「NARUTO-ナルト- 疾風伝」、
(ちなみにテレビ東京系毎週木曜夜7時30〜8時)
次回から数話に渡り最高涙腺刺激回なので、

誰か俺の代わりに見といてください。


written by 昏並稲

Magic of poem24/なつめё

Hello my dear.
I'm glad to see you.


初めまして、こんにちは。
なつめёといいます。

連日このブログの更新が続いているので、このタイミングでいいものかどきどきしながら書いていたら、今まさに一件更新されてどうしようかと。
せっかく書いたものを白紙にするのはもったいないので、寄稿させてもらいます。



さて、いきなりではありますが、少しわたしの昔話をさせてください。

元々、人と関わることが得意な方ではなかったわたしは、中学に入ってからもなかなか友達ができませんでした。
そんなある日のこと、英語の授業中に暇で暇で仕方なかったわたしはノートの端に小さくポエムのような何かを書きました。
決してポエムではありません。ポエムのような何か、です。
そして、それは、たまたま後ろの席に座っていた女の子の目に映りました。

「・・それ、何の詩?」
「えっ!」

いきなり話しかけられた驚きで変な声がでました。
その子はわたしがノートの端に書いたポエムを歌詞か何かと思っていたらしく、そう聞いてきました。
わたしが考えたものだと知ると、元から大きな目をさらに大きくさせて、「すごいね」と笑っていました。

それが、ポエムを書きだすきっかけになりました。

その子と友達になって、わたしは毎日ポエムを書き続けました。
「すごいね」と言ってくれた彼女の笑顔を見るために。
その子とずっと友達でいられるために。
ちゃんとした友達ができたのが初めてだったわたしは、どう接していけばいいのかわからないことが沢山あって、ポエムを書き続けることで彼女を繋ぎとめようと必死でした。
その一年間で使ったルーズリーフは150枚ほど。
今でもすべて持ってますが、なんとも恥ずかしいものです。
その後、彼女とは違う高校に通うことになり、今ではあまり連絡もしなくなってしまったのですが、彼女のおかげで人との関わり方を学べたのでポエムに頼ることもなくなりました。

ここまでがわたしの昔話です。



それからしばらく。
去年の9月に時間は飛びまして、わたしはpoem24と出会いました。

昔話でなんとなく気づいた方も居るかもしれませんが、わたしはそれまで自分のためのポエムを書いたことがありませんでした。
誰かを繋ぎとめるため、評価してもらうために書いていました。
第6回「名前」の時にどきどきしながら書いた詩が、初めて自分のために、自発的に書いた詩になりました。
TLには、誰かのためではなく自分のために綴られた言葉が並びました。

「これで、わたしはやっと先に進める。」

タグを遡って、並んだたくさんのポエムを読みながらそう感じました。
不恰好でもいい。評価されなくてもいい。
自分の言葉で、自発的に書いたポエムは捨てられないことに気づきました。
かわいくて、かわいくて、捨てられるはずがありませんでした。

わたしはインスピレーション系で、思い浮かんだ言葉を書いて繋げていくタイプなので作るのに時間はあまりかかりません。
それでも、出来上がったポエムを読み返しては頬を緩めてしまうほどには溺愛しているのです。



poem24に出会い
自分の言葉に出会い
素敵な言葉に出会い
大切な人々に出会い

「ありがとう」をたくさんもらいました。
「すき」だとわたしを認めてくれる人と知り合えました。
「おかえりなさい」と迎えてくれる場所ができました。
「またあした」が広まって、昏い夜が優しくなりました。

これからも、この素敵な企画が続いていきますように。
わたしの持てる最大限の感謝を込めて。


Thank you for giving to me your warm poetry.
I'm smiling today by favor.


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涙をふいて
顔をあげて
大丈夫
大丈夫
不安で怖くてしかたないけど
楽しいことがたくさんあるから
もう一度、笑えるようになる
もう一度、言葉を思い出す
大丈夫
わたしは今日も幸せです
#poem24
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『あの日の自分に』篇より


written by なつめё

Twitterと僕とときどきポエム24/ふぃんく

はじめまして、こんばんわ、ふぃんくと申します。
数ヶ月ほど前よりポエム24に参加しはじめ、今ではすっかり虜になったただの人間です。

このたび、暫く休止とする前にみなさんに御挨拶いたすため、書かせていただきました。

さて、過去話になってしまいますが、少し耳をかたむけて頂けると幸いです。

まだポエム24を知ったばかりの頃、僕のクラス担当の国語教師が、
「最近、楽しそうに授業受けるね。」
と、一言僕に言いました。
国語の短歌の単元でした。
"元から詩を書いたりするのが好き"と先生に言うと先生は笑顔で、
「辛い人生を過ごした人は感性がよくなるからね。」と。

本当に辛いと感性がよくなるかは分かりませんが、仮にそうだとします。
そうなるとこのポエム24に参加している素敵なぽえったらーのみなさんも沢山の苦労と辛い思いを経験したでしょう。もちろん、僕もそうです。

毎日疲れて帰ってきて、死にたくなったり、どこか遠くへ行きたくなったり。

ポエムの始まりはきっとそこです。
例え辛い思いであっても、言葉にすれば立派なポエム。
ぽえったらーのみなさんはそこから今、ポエムを作っているのではないかと。

これはあくまで勝手な想像ですが共感してくれる人がいるとうれしいです。

長くなってしまいすみません。それと聞いてくださりありがとうございました。

それでは。また、どこかで会いましょう。


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Dear.あの日の自分へお元気ですか? 記憶力が乏しいので何も覚えていませんが、一つだけお礼を言いたいんです『呟き始めてくれてありがとう』あの日ここにきたから沢山の人に出会い沢山の人と話し沢山の人と笑いあえたありがとう From.今の自分より #poem24
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『あの日の自分に』篇より


written by ふぃんく

初恋を繰り返す/消えた少女

初めまして、ねむると申します。

いつも睡魔に追われているからなんて安易な理由でつけた名前です、poem24は、「消えた少女」という名前で参加しています。消えた少女さーんと呼ばれるのには抵抗があるので、ねむるですよろしくお願い致します。



タイトルにあります「初恋」。

甘酸っぱい青春うんぬんには縁のないそれにわたしが触れたのは、まさしくシンデレラタイムの瞬間でした。
シンデレラなんて麗しい名前は気後れしてしまいますが、まさしく。

じっくり考えて、時には「うわあああああ」と焦りながら。
わたし自身とも言えるひとつを落とす瞬間。
時計の針がその瞬間を示す瞬間。

わたしは、きっと「初恋」を繰り返しているのだと思います。



何言ってんだと自分でも思いますが、どきどき。あの眩暈は。

自分のポエムが表示されるまでそわそわしたり、「あー!どうしようフライングしてないかなー!」とどきどきしたり。誰の目にどんな目で見られているのかと考えてぐるぐるしたり。



甘酸っぱい、確かな戸惑い。
ふぁぼを頂くと、ああこの人はこの「わたし」に共感したんだなぁと思ったり。



シンデレラの瞬間を越えても治まらないどきどきを、皆さんと共有してるんだなぁと、思ったり。
この企画を通してしか味わえない多くが、此処にあるのです。



話は変わりますが。

和賀さんがトゥギャってくださるラインを見ている時、じんわり思う事があります。

狐さんが現れると、ざわざわ。
お題提供者は誰!?とざわざわ。
お題出たー!とざわざわ。

流れの中、全員が互いの言葉を見ている筈など無いのに、poem24を通して皆さんが会話している様に見えるのです。

時には重ねて時には正反対。
流れの中、同じ事を共有して気付かぬ間に理解し合っているんだなぁ、とあのラインを見て確認するのです。

ほんの少しの恥じらいを含みながら、それでもやっぱり優しい時間を。

ポエムというものは自分。こころをばーんと晒したり、時には自分自身への喝だったり。

「誰」が「どう」思っているのかを見るのではなく、「自分とは違う他の人」が「こう」思っている。
それが少しでも重なったり、すれ違ったりするのを噛み砕いて。同じラインからまた新しい言葉を生んで、進んでいく時を待っているのです。

離し難い、他では得難い時間をくださりありがとうございます。皆さんへ。

また、あの時間にお会いしましょう。
それでは。


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ごめん、もう忘れた。#poem24
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『初めて』篇より



written by 消えた少女

ポエム24小休止につき/和賀

ツーデイスお疲れ様でした!
二夜連続は久々でしたね。

さて、twitterでも書きましたが
ちょっとの間ポエム24を休止したいと思います。
っつってもひと月くらいですがね!

「ポエム24が自分の居場所をくれた」
というような言葉を何度かみかけたことがあります。
これ、めちゃくちゃうれしかったです。
でも、
それが「常」になってしまうのってほんのすこしだけ危ういなって。
そんなに頻繁に開催してたら(お題に)追われたり
お題があることが当たり前になっちゃったりして
自発的に想起する機会が無くなっていくんじゃないかと。

ポエム24が無いときでも、
そして無くなった後でも、その先ずっと発想することをやめてほしくないなっていう願望があります。
「お題なんてそんなもんなくたってポエムは書けるよ!!」までいくと余計なお世話になってしまいますが
ポエム24ではなくポエムそのものを愛してくれたら
そしてもし、そのキッカケがポエム24であったのならそれはもう僕にとっては涙が出るほど嬉しいことだなっていうここまで建前で実際はトゥギャ作業があまりにも手間がかかり過ぎるのでツライっていうのがでかいです!!!!!11























次は2月中旬くらいにやろうかな~と思っています。
2月中旬といえばあのイベントがありますね。
そうです、それに照準をあわせて。
お題をもらいたいひとはもう密かに心に決めています。
あのイベントに相応しい方だと思います。(ちょっと黒いとこありますが)

これからは開催頻度がいままでより低くなると思いますので
参加を逃したくない方は狐のツイートを通知設定するといいかもしれません。

あとあと、寄稿お待ちしてますよ!!


written by 和賀

言葉の世界 / 娯楽

人が言葉を知って早幾年。
それは絶え間なく姿を変え、空気のように人々の中に息衝いた。

今日に続く140字の言葉遊びも、
短歌に始まり、俳句となり、現代へ。

弛むこと無き時間の中で、
ひと時も休むことなく言葉は生まれ、知らず知らずうちに消えてゆく。

それはまるで命があるかのように。


こんばんは。娯楽です。
愚にも付かない能書きにさぞ退屈なさったことでしょう。
ご安心を。この先はもっと退屈です。


さて。飛ばし飛ばしでここまで読んでこられた方は相当な物好き、もしくは折り紙つきのTwitterユーザーとお見受けします。

安易に人をカテゴライズすることは余り好みませんが、
ここで貴方に質問です。 『貴方はどんな人ですか?』

日常に笑いのスパイスを与えてくれるような面白いネタを書く人ですか?
神や仏ですらその答えを見出せなかった恋愛を素敵な詩にして綴る人ですか?

各々あるでしょう。何もこの2つだけではありません。
ユーザーの数だけカテゴリーがあってもいい。それが個性というものです。

そうでなければこの世界、おもしろさなんて無いと思いませんか?

ですが人という生き物は不思議なもので、そうした個性に「嫌悪」という感情を抱きます。
そうした差異に何故か度し難さを感じ、淘汰したがる非常に業の深い生き物だったりします。

しかしどうでしょう。
そうした「嫌悪」をはじめとする有形無形のマイナスな感情が津々浦々で渦巻こうが、TLはお構いなしに今日も流れてゆきます。

世界における『無関心』とは、つまりそういう状態を指すのかもしれません。



ポエム24はそうした風潮への反旗。

個性を肯定し、隣の世界へ心を傾けること。

同時に、世界において『関心』を持つということ。

時計の針が知らせる夜、よーいどんで世界に生まれる個性豊かな詩たち。

人という生き物は不思議なもので、そうした個性に「好意」という感情をまた抱きます。
そうした差異に何故か生きる喜びを感じ、理解したがる非常に素敵な生き物だったりもします。

生まれた140字の彩り豊かなメッセージボトルは、
今日も言葉の世界を彷徨って、誰かの手元へ届くことでしょう。



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恋と愛の違いを探していた私へ。 実はまだよくわかっていません。 それでも、想うよりもずっと、恋も愛も素敵なものらしい。 貴方にも届くように。 『ハロー。』 #poem24
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『あの日の自分に』篇より


written by 娯楽

意味をもたせるには早すぎる絵画的散文詩/ドロレス

私はもともと文章を書くのが得意ではない。国語のテストの書き問題なんかは全く無視して提出したほど文章力がない。
それを変えたのは中学の副担任で、国語担当の先生だった。私は今や思い出せない程の些細な何かをきっかけに、彼女に恋をした。
彼女に気に入って欲しい、その一心で書き問題に答えるようになった。文章は相変わらず主題からかけ離れてしまうが、それでも彼女に採点してもらえるならと書いた。しかし、というかやはりというか、話は膨大に膨れ上がり、最終的に主題からかけ離れてしまう。
彼女は文芸部の顧問だった。私は美術部の部長だった。部室は隣同士。すきあらば彼女に話しかける。私の通っていた中学校では部活の掛け持ちが禁止されていた。私はせめて彼女の絵を描きたいと頼んだ。最後の文化祭には、私の描いた愛しい先生の油絵が飾られた。
そして、初めて書いた詩は、彼女への想いだった。これは彼女へは見せていない。卒業文集にも彼女への想いを綴ったが提出しなかった。
そこから私は詩について深く考えるようになった。文章が書けなくても、詩ならば簡単だと思った。

詩を書く時に気をつけていることがある。それは聞こえの良い単語と繰り返しのセンテンスとリズム。
同じ言葉を繰り返すことにより、想いが重くなると思っている。そしてリズムは、声に出した時、心地の良い音でなくてはならない。
擬音でもなんでも、耳に心地の良い音は好きだ。
そしてその言葉、単語に意味がなくとも、聞こえの良い音だけを選ぶ。
意味を込めた詩は重くなる。これは私にとって致命的だ。

意味をもたせるには私はまだ幼すぎる。だから見栄えのいい文字だけを拾い集め組み立てていく。
ただ単に愛を語るだけなら誰でも出来る。絵描きを目指していた人間として、そんな簡単なことを私はしたくない。
だから意味のない単語を連ねたり、めちゃくちゃな擬音を混ぜたりする。
先述のとおり、私には幸か不幸か共感覚で文字に色がついて見える。
それを考慮した上で単語を並べていくと、なんと絵画的なものか。
私は絵が描けなくなってしまった。その代替行為として詩を書き始めた。文字で絵を描くことを始めた。
シナスタジアで見るポエム24は、私にとって美術館のようなものである。
そしてこの目で最も美しく見える絵画は、セッカさん(@0vega)の詩だ。(聞いた話ではセッカさんにも共感覚(色聴)があるらしい。)
ポエム24のタグを辿り、私の目に美しい絵画をフォローしていく。この楽しみ方が間違っているか否かは各々の判断に任せたい。

私の詩は他人の理解を求めないのだ。
意味をもたせた時、その詩には伝わってほしい人間にだけ判るような暗号じみた言葉で想いを綴る。
それは単なる自己満足。伝わってほしい人間とは実のところ私のことなのだ。
私は私が好きだ。私が他人に恋をする時、それはナルシシズムの醜悪な変形が招いたことだと思っている。
そんなものを愛しているはずの人間に伝えたくない。
だから私はいつも適当な言葉を選んで文字を綴る。裏に想いを込めながらも、それを気付かれないように複雑化する。
恥ずかしがり屋だから、素直な気持ちを伝えられない。ラブレターさえ書けない。
だから意味のない綺麗なだけの言葉を並べて組み立てていく。それが私の詩だ。
詩とは、言葉とは、いかに脆弱な存在なのかを痛感した出来事があった。
声に出したほうが早いのだ。「好きです」たった四文字で伝わる。
そしてもっと言えば、声に出して伝えるよりも、たった一度のハグで何もかもが伝わることだってある。
だが、それでも私は詩作をやめない。絵をまだ諦め切れないからだ。

しつこいが、私は詩に意味を持たせたくない。散逸的に構造されたバラバラで意味不明の文章であってほしい。
それこそが私ができる、私が愛した絵画たちへのメッセージでもあるのかも知れない。
文字で絵画を描く、私にとって詩作とはそういう行為であってほしいと願う。


written by ドロレス(twitter ID/ Do1ores)

ポエム24と自ブログの関係性とTwitterでの出会いと俺とお前と大五郎/ドロレス

ポエム24での詩は、Twitterの構造上140文字という制限がある。そこにタグをつけるから更に縮められる。
短い文章で詩を書くのは得意だが、そこに「お題」がついてくると、これがなかなか難しい。

私は基本的にTwitterに投下した詩を自分のブログにそのまま移そうとは思わない。
Twitterでのポエムは一期一会のものだと思っているからだ。それでも何気なしに投下して気に入ってしまったものは、再構築して自ブログに再掲する。
私にとって自分のブログは聖域なのだ。だからこそ楽をしたくない。
Twitterは楽だ。私は基本なにも考えずに綺麗な色の文字をポンポンと出してそれを打ち込んでいくだけで一つの詩ができる。
逆に考えると、ものすごく悩んで書いた詩には面白みとスピード感がないのだ。

昨年5月、ブログで書いた詩は200ほどになろうか。ノリにノッていた。それこそTwitterのノリで書いたほうがいいんじゃねえの?ってくらいのノリでポンポンと言葉が出てきた。
これは当時私がニートだったせいもあるだろう。暇さえあれば詩を書いた。
無駄な時間とは、創作意欲を刺激するものである。

とかく私はスピード感も大事にしたいと思っている。
ポエム24のお題が出たらすぐさまポイポイと言葉を放り込んでいく。そして下書き保存。24時を待つ。
過去の経験からして、私が真剣に悩んで書いた詩よりも、適当に早撃ち乱れ打ちした詩の方がウケがいいのだ。
それに対しては自分もそう思っているので、なんとも言いがたいのだがw

しかしたまに悩むこともあるし、色をつけることが出来なくもなる。絵画的散逸文章でありたいのに、そうあれないこともある。
そんな時は何もせずに眠るわけではないが、「所詮Twitterだ、別に俺の詩なんか誰も気にしやしない」と割りきってぶん投げる。
フォロワーさんには申し訳ないが、私にとってTwitterとは、Twitterで書く詩とはその程度のものだ。
それでもポエム24というタグに出会い、様々な詩人に出会い、私の世界はさらに広がったのだ。
Twitterも案外バカに出来ないものだな、と思った。
(ごめんなさい、もとが2ちゃんねらーなので馴れ合いとかがすごく苦手なんです)
(更に言うと、@飛ばしたり飛ばされたりすると恐怖するくらいの人見知りなんで)
(未だに2ちゃんねるに書きこむのも手が震えるくらいなんですネット歴10年ですがネット怖い)
(しかし12歳です白目)

お題が出されて24時、私のTLは夜の美術館になる。絵画の羅列。シナスタジアで見る詩の美しさ。
美しいものだけを拾っていく。(フォローしていく)
目の保養だ。だからこそ、サイトを持って欲しいと思う人もいる。誰とは言わないが。
私は基本的にふぁぼって言うんですか?お気に入り追加は自分のツイートしかしないので、和賀さんのトゥゲッター?を見ることしかできない。
(すみませんついった3年目ですけど未だについった世界の意味分からんこと多いです)
ネットの世界は広い。Twitterの文字数制限の中で闘うのも楽しいけれども、サイトやブログを持とうよ!とも思うのです。私はうまく両立出来てないですが。
Twitterやポエム24に対するポエムはブログに載せるつもりはないけれども(その一期一会を、瞬間を大事にしたいから)、詰まった時のリハビリや、美しい絵画的文字列を探すためのツールとしての使用も面白いのではないのかと思う。
私にとってはその程度の存在だが、逆にその存在が大部分を占めるようになってきたとも言えそうだ。
24時の速度が、私を駆り立てる。

「文句があるならロワンディシーにいらっしゃい!」


written by ドロレス(twitter ID/ Do1ores)

母から貰った感情表現/ドロレス

cali≠gariの歌詞でこんなものがある。
「ママからもらった感情表現。形態反射に過ぎないというのに。」(人形の家)
私の詩作のルーツはまさにそこにあるのかもしれない。

保育園に通っていた時もそうだが、母胎にいる時も聴かされてきた音楽がある。
佐野元春、サザンオールスターズ(桑田佳祐)、ユニコーン(奥田民生)、80's洋楽…等々。
とくに最初に上げた佐野さん、桑田、民生は特に私に影響を与えた人物なのではないかと思う。

最近になって上記3名の曲や歌詞を真面目に読むようになったのだが、やはり素晴らしい。
佐野元春の歌詞は、まさしく文学であった。
「悲しみの果てに優しくなるほど優雅な気分じゃない」(Complication Shakedown)
「どうしてあなたはそんなに手を振るのだろう 僕の手はポケットの中なのに」(グッドバイからはじめよう)
など、的確に私の心を突いてくる。これを幼少期に聴かれてていた私は幸せものだったと思う。
桑田佳祐の常識を逸脱した言葉遊びのセンスも素晴らしいし、奥田民生の日常名言集的なゆるーい、そして優しく切ない歌詞も好きだ。
私は無意識のうちにこの3人から詩的センスを貰っていたと言っても過言ではないし、それは母がくれた感情表現なのかもしれない。

私は母とよく似ている。それは親子だからもちろん当たり前のことなのだが、それ以上に求める文学性が同じなのだ。
まさしくママからもらった感情表現。私の詩は母によって生み出されたようなものだ。
昔高専にいた時代、文芸部で文芸誌を発行していて、そこに私の詩を2編ほど載せてもらった。
その文芸誌を記念に持ち帰ったら、ある日母がそれを読んで大泣きしていた。
私は焦った。「ななななな何事ね?!何があったんね?!」そう言っても母は目を真っ赤にして「欠伸しよっただけじゃけ」と笑う。
そこに載せていた詩は、私の失恋話をネタにしたものだったが、母はそれを読んで確かに泣いていた。
きっと同じような体験をしたのだろう。だって、私と母は世界で最も似た、同じ感情を持った人間同士だからだ。

その詩をブログに載せるつもりは今のところはないのだが(昔のサイトに載せていたので探せばあるかもね!)、愛すべき血族がそれを読んで泣いてくれた、その事実が私を勇気づけてくれる。
その頃の詩には色はない。だが確かな感情はこもっていた。
「ママからもらった感情表現」を確かに著していた。それは母の涙が証明してくれた。
絵画的に詩を書くのも結構だが、せめて血族の心くらいは揺さぶれる詩を書きたいとも思う。

所詮は親離れできない糞ガキなので、せめて親に向けた詩を書きたいとも思った日があった。
血族しか愛せない人間だからこその、意地がある。


written by ドロレス(twitter ID/ Do1ores)

たとえば、愛したくなったとして、/遥

poem24に参加されている皆さんは、きっとその感情を素直に「愛している」と表現することはないのだろうと思っています。
ある人は「空があまりにも綺麗で」、ある人は「殺してしまいたい」。
何通りも、何十通りも、参加者の数だけ、その言葉は浮いてくるのでしょう。
どこまでも個性的で、愛しいほどにひねくれた方が集う。それがpoem24だと、僕個人はそんな気がしています。



ご挨拶が遅れました。改めましてこんにちは、遥と申します。
僕は元々、このアカウントで、ましてやtwitterという場で、詩を書くなどするつもりはこれっぽっちもありませんでした。
いや、少しはあったかもしれません。けれど、ただの日常の呟き、もう一人の自分が生きる世界、それだけのつもりで始めました。


詩、とも呼べないような文字の羅列、感情の吐き出し。そんなものを書くようになったのは、中学の頃からでしょうか。
本と机、文房具ぐらいしか友人がいなかった当時の僕は、行く宛のない言葉をただノートの端っこに汚い字で書き殴っては丸めていたものでした。
勉強の成績は中の中。数学は丸っきり苦手。走らせれば転び、保健室の常連客。
つまり何をさせてもぱっとしない、居ても居なくても大して変わらないような「どうでもいい人間」。それが僕。
twitterでは『和賀同盟 副会長』なんて肩書きを名乗っていたりしていますが、未だにビクビクな毎日です。



そんな人間ですから、今こうしてたくさんの人の目に格好つけて言いまわしている詩を晒すなんてことは、到底信じられない、嘘のような夢のような話であります。
それもこれも、はじめはほんの気まぐれと好奇心で参加したpoem24で、「誰かに見られる」ということに快感を覚えてしまったからでしょう。(決してそれは変態的な意味合いではなく。)
楽しくて楽しくて仕方がない、次の24時が待ち遠しい、生きていてよかった!
自分の詩の至らなさは棚に上げて、それだけがいまpoem24に対して思っていることです。



ここで「僕の人生を変えてくれてありがとうpoem24!」と、声高々に締めてしまうと、なんだか終わってしまうみたいなので言いませんが、これを読んでくださっている方皆さんが等しく抱いているであろうpoem24への想いと似たようなものが、僕の胸にもあるということだけ、お伝えしておきます。




ひねくれた人間が集まるpoem24、これまでに様々なお題で様々な詩が流れました。そしてこれからもきっと流れ続けます。
ひとつとして同じ詩はなく、同じ言葉はなく、僕は出会ってから毎回、その幅の広さと底の深さと天井の高さに、ただため息を漏らすのみです。
そしてできれば、僕もその夜空に流れる星たちの、そのうちの小さな小さなひとつとして、微力ながら光ってみたいと、そう願います。




長々と僕のことをお話いたしましたが、それでは最後に。



「たとえば、愛したくなったとして、」
僕ならば、そっとその手を握るでしょう。時々ぎゅっと、抱きしめるでしょう。




え?言葉じゃないのかって?
いやだなぁ。僕だって、ひねくれ者、ですから。


written by 遥(twitter ID/ yo_u03)

ぽえったらーの日常と現代日本パンツ論/えりえ

まずは、新年の挨拶をば。
みなさま、あけましておめでとうございます。

いままでこのブログでは素敵なぽえったらーさんたちがそれぞれに詩への想いの丈を語っていらっしゃったと思うのですが、今回は新年ということでひとつ、趣向を変えて「ぽえったらー」さんに照準をあわせて、おこがましいながらも、ぽえったらーの末席に位置していると自負しております、わたくし、えりえが話をさせて頂きます。

故の、タイトルです。【ぽえったらーの日常と現代日本パンツ論】。
仰々しいように見えて全くそんなことはないタイトルですが、両者の間になんの関係もないと考えるひとは…少なくないけど多くもないかな、と思っております。

私のTL上でだけでしょうか。はっとするような詩を書くぽえったらーさんたちが「ぱんつたべたい」「パンツ何色ハアハア」「ぱんつおいしいバリムシャア」と叫ばれるのは。
不思議に思ったことはありませんか。素敵な詩を書くぽえったらーさんたちが何故ここまでぱんつに固執するのか。

その理由は、パンツの歴史とパンツが内包するその意味にありました。
パンツの歴史と一口に言いましても、その歴史は、日本においては明治時代からと大変短いものでございます。
詳しい歴史を語り始めると長くなりますので、ここは涙をのんで割愛いたしますが、そうですね、明治維新に伴ってパンツの普及が始まったと考えていいでしょう。

と、いうことは。それ以前にはパンツなるものは存在せず、陰部はそれほど隠されずに生活してきたことになります。ですがパンツは普及し、今も日本人の陰部を隠し続けております。

何故パンツは普及したのか?
それを語るにはまず、パンツの内包するその意味を考える必要があるでしょう。

パンツの内包する意味とは。

ずばり言いましょう。
想像力をかきたてることです。
どの時代も、現実よりも想像のほうがはるかに素晴らしいものであります。
そして、それは隠されたものに対してすさまじくたくましく働く。それが想像力。

隠されたものに対して人は想像力をたくましくさせ、また人はそれに応えようとパンツをはく。
それがパンツが普及した理由であると考えます。

さあ、ここまで語れば察しの良い方は気がつかれることでしょう。
ポエム。つくるほうも読むほうも、必要とされるのは第一に想像力ではありませんでしょうか。
なれば、ぽえったらーさんたちは日々どうやってその想像力を鍛えているのか。

そう。彼らは、ぱんつに固執することで彼らに必要な力を蓄えているのです。

…………ここまで読まれた方ならすでにお気づきかと思いますが、これらは全て嘘っぱちです。

新年早々くだらない与太話に付き合わせてしまいまして大変申し訳ございません。
素敵なぽえったらーさんたちと彼らのつくりだすポエムに出会わせてくれた、和賀さんとpoem24に感謝を。
これにて、ぽえったらーの日常と現代日本パンツ論、おひらきとさせていただきます。

最後にひとつ。

今日のパンツは何柄ですか。


written by えりえ(@elleair0water)
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