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一年ぶりです。

一年前の私はこのブログにこんなことを書いていました。

「私には悩みがありました。どうしたら、詩を140字で上手くまとめられるのだろうか?」

ちょうど自分のサイトを立ち上げていたときでした。

その時までのTwitterの使い方は、とくにつぶやくこともなくて、フォロワーさんもそれほど多くはないので、なるべく面白いツイートをRTして、それを自分のアイデンティティのようにしていました。

つまり、自分には何も書けることがなくて、面白い才能もなくて、人に返せるものがないから、他者の面白いツイートを発見し紹介するということを、自分自身の心の支えにしていました。心の奥深くでは。

でもそれは、どこまで行っても自分の文章ではなくて、誰かの借り物で、いくら自分がその方のツイートをRTしたところで、自分自身は満たされないのです。なぜなら、自分自身はそのつぶやきに何ら関与していないからです。それは、自分の言葉ではないから。


初めて、poem24に参加したとき。それは、自分に書ける言葉を精一杯絞り出して、自分の言葉で、書いた文章でした。Toggeterにまとめられた時は、公衆の面前に自分の文章が貼り出されて何て恥ずかしいんだ!と思いました。それは、教室で先生に自作の文章を貼り出されるような感覚です。しかしそれは同時に、嬉しいものでもありました。ネット上に自分の文章が140字でもいいから残るというのは、とても嬉しいものでした。


教室で国語の時間に、自分が作った俳句が先生に読まれたことがあります。転校してくる前の学校で見た夕焼けは美しかったなということを書いたのですが、その時に感じた、なぜ自分の文章が誉められているのだろうという感覚と、でもほんの少し嬉しい、そんな感覚です。目立ちたがり屋ではないけれど、人に誉められるのは嬉しかったのです。


poem24に参加して、自分の言葉で文章を書くという楽しさを知りました。一つのテーマにそって、自分の世界を140字でまとめるのです。それは誰のものでもない、自分自身の世界です。そして時に、その作り上げた世界が、誰かの心に共感して、星をもらえたりするのです。つまり、だれかのお気に入りとして登録されるのです。単純ではあるけれど、何て奥深い世界なのだろうと、Twitterを褒め称えたい気分です。


poem24きっかけで、とても多くの人と出会いました。「poem24 -RT」で検索して、RTのノイズを排除し、なるべくまだ誰にも発掘されていないポエマーさんを見つけては、その人の詩をお気に入りし、あわよくばフォローをし、新人さんを発掘するのが私の楽しみです。初めてだれかにリプライをもらったときの嬉しさや、初めてだれかにお気に入りをされたときの気持ちは、格別のものです。簡単に渡せる好意の印を、ネットの海を航海して届けるのです。


ここで私が言いたいのは、誰かの言葉を広めるよりも、自分で言葉を書いたほうが楽しいよということです。#poem24というタグをつければ、恥ずかしかったあの時の気持ちや、センチメンタルな感情が、吐き出しの場として提供されるのです。それはごみ箱のようでもあり、甘味料のようでもあり、宇宙のようでもあります。そこに集まる言葉は混沌です。ただし秩序があります。つまり、一つのテーマが与えられるということです。


言葉の可能性は無限大ではあるけれど、その人の吐き出す言葉は無限大ではありません。つまり私は突然セックスという言葉は使わないし、マニキュアという言葉も使わないし、スイーツという言葉も使いません。そういう風に絞っていくと、自分の使う言葉は限られ、ある一定の法則が見えてきます。


私は雨や光という言葉が好きです。街灯という言葉が好きです。才能という言葉にも惹かれます。水色という言葉が好きで、絵の具という言葉が好きで、風景描写が好きです。

あなたにもきっと自分の好きな言葉があって、それを並べることによって、自分の世界が見えてきます。

あなたの好きな言葉は、何ですか?


長くなりましたが、前回のブログでは少し遠慮がちに書きましたので、今回は少し勢いに乗って書いてみました。私の文章も日々成長していますし、継続は力なりです。自分の好きなことを、続けていきましょう。下記のIDに行けば、いつでも文章を書いています。あなたの訪問を、お待ちしています。 (ステマ)




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今夜のお題はなんと羽海野チカさんです。
「詩とか書かないけどハチクロは大好き!」
という方は、この機会にぜひ詩を書いて投下すればいいと思います。
ハチクロや3月のライオンへの愛を込めてもいいかもしれません。
お題は「イルミネーション」。
タグはこちら #poem24
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彼の手は今はもう遠くて、私はそれを夢の中で、何度も追いかけるんだけど、彼は手を振りながら遠ざかっていく。
目が覚めると、雪が降っていて、いまは冬なのだと分かる。
病院の窓から、街のイルミネーションを見下ろす。
私は思い出す。
そうだ、彼はあの日、死んでしまったのだと。
#poem24
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『イルミネーション』篇より


written by N.S
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格子の隙間より、あなたへ。/諦

俺の言葉に意味などなくて。
俺の詩に価値などなくて。



檻の中からこんにちは、はじめまして。諦(RAIN_CAGE)と申します。
自分のブログですらまともな文章を綴れない俺ですが、今回、24時の片隅に爪痕を残そうと出現しました。
普段は空気のような字書きの独り言、またの名を自分語り。言い訳も内包しております。
拙い言葉で諄い文体、更に長いです。時間を持て余して仕方が無いときにでも、良かったら。しばしお付き合いを。


俺にとっての詩は、創作物。
完全に切り離された個、では無いけれど、独立した『作品』です。
我ながら傲慢な主張ですが、評価されたいと望んでいる節があるので。それに値するものであろうと足掻いております。
しかしその実は。アウトプットされた感情を、自己顕示欲を、存在意義を。削り薄め飾り立てた、成れの果て。がらくた。ある意味では副産物。
それが『現在の諦』の詩です。


何年か前まで、俺がネット上で公開していた文章は今より稚拙で、空虚で。けれど、どこか柔らかいところに刺さるモノでした。当社比ですが。
あのときの語彙や表現を取り戻すことが、最近の俺の課題だったりします。
誰かの心にワンセンテンスでも残すこと。引っ掛かるようなモノを創ること。それが俺の創作の目的なので。痛々しいくらいに、形振り構わない文体を再びこの手に出来たら、と。
……あくまで当社比です。大事なことなので2回言いました。

さて。俺の書いた文章は大きくわけて2種類に分類できます。
浮かんだ情景を文字に落とし込んでポエムにする場合と、ポエムというオブラートに包んで本音を吐き出してる場合と。
少し前まで後者は圧倒的に少なかったんですが、増えつつありますね。あんまり好きくないんですが。本音はちゃんと対象にぶつけたいですね。
まあ、それが叶わないからこうなってるのですが。
伝えきれない感情のカスが胸の中でぐるぐる、ぐるぐると渦を作って。掻き乱されて動けなくなってしまうから。文字としてカタチを与えて、並べて、整理するために。
あ。好きくない、というのはあくまで書くことに対しての感想ですので、読むことに関してはむしろ好きです。強い感情が込められていると推測できる文章には、当然ですがパワーがあって。引き付けられます。

後者が具体的かつ感情的な性質を帯びているとするなら。前者はひどく抽象的で曖昧性の高い表現が連なっている、そう考えられます、が。
その分、なのかはわかりませんが。どちらかと言えばこっちの方が頭使いますね、俺は。自分の中にある、カタチになりそうなものをどうにかして、出来るだけそのまま出力しようとするので。結果、装飾語と体言が並ぶだけの稚拙なものになりがちです。
友人には『語り過ぎ』『漢字多様し過ぎ』と指摘を受けるのですが、俺としては、受け手のイメージを狭めることこそを目的としているので。蛇足も敢えて残してますし、無理矢理にルビ振って(しかもそれは表記せずに。括弧を補足に使うことはあまり無いので。)投げることもあります。
嗚呼、多分いまも語りすぎなんでしょうね。すみません、自己顕示欲と承認欲求が強くて。
こんなふうに押し固めてしまうから、受け手の好き嫌いの激しいものしか書けない自覚はあります。評価されたいのと自分の納得がいくものを書きたいのとが競り合って、可笑しくなりそうになることもありします。落ち着けっていう。

そんな、願望と妄想とエゴイズムとがごちゃまぜに綯い交ぜになった文章を『評価してほしい』だなんて、と思われても、仕方がないことだと思います。
創作であれ、呼応であれ、もしくは元となったノンフィクションがあったとしても。本来は作品とはとても呼べないような、俺の思想の端を切り取ったものでしかありません。
つまり俺の文章は俺の一部であり、アカウントRAIN_CAGEはそれを切り貼りしたようなものなんじゃないかな、と。思ったりします。雨の檻はどこまでも利己的な俺を隔離するためのものだったようです。

それでも俺は。自分の言葉に意味を持たせたい。文章の価値は受け手によって変わるから、可能ならば多くのひとに認めてほしい。どこまでも我が儘に強情に貪欲に、俺は詩を紡ぎます。



俺の言葉に意味などなくて。
俺の詩に価値などなくて。

もし、そんなことはないと言ってくださるならば、それを与えてくれたのは。
俺の言葉を受け取ってくれたあなたです。

俺の文字は、受け取ってくれる誰かが居ないと途端にゴミになってしまうから。
独りよがりではありますが、ポエム24を開催してくれている和賀さんに。俺のpostを見てくれた皆さんに。そして、ここまで読んでくれたひと(居るのかな……。)に。この場を借りて、最大限の感謝を込めて。
ありがとうございました。




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(はやく来て) 落とされた科白は冷えた空気に融けて、彼女はまだ救われない (ねえ、はやく)
不安を煽る可能性に振り回されて (はやく、はやく、) (お願いだから、)
PM9:00 待ち人は未だ来ず (最悪の想像が、浮かんで消えないんだ)
#poem24
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『待ち合わせ』篇より


written by 諦

ポエム(笑)なひとたち/豆太

豆太と申します。
初めましての方は初めまして、既知の方はコンにちわ。
今回、僭越ながら調子に乗ってここに文章を書かせていただきます。

私は、poem24に出会うまで「ポエム(笑)」という側の人間でした。
笑いたかったのは、卑下していたかったのは、拙い散文をポエムと名付けて安寧していた過去の自分。ポエムは私のなかでただの『文章未満』でした。
汚い感情を無理矢理きれいな言葉に収めておくような、言葉で表現できないことを無理矢理書き出すような、とにかく汚くて幼くて見ていられないようなもの。それを書く人間も幼くて汚くて自己陶酔の塊みたいなものだと。
その私がpoem24に出会ったのはおよそ一年前。
そこにあったのは『文章未満』ではなく、小説などの形式では用いないような言葉たち、弾むようなオノマトペの山でした。
ポエムは詩で、詩は文章表現なのだとそのとき初めて腑に落ちました。
伝える言葉ではない。小説のような表現でもない。言葉が言葉として、文字が文字として独立していると感じました。
教科書からは感じられなかった魅力が、その場には色とりどりに転がっているようでした。
今私は詩を書きます。
ポエムを書きます。
世の中にはやっぱり、「ポエム(笑)」という方々が居ます。
でも、そういう人たちに躍起になって「ポエムってこんなに素晴らしいんだよ!」と伝えようとするのは、私はちょっと違うと思います。
ポエムは説明するのではない。訴えるのではない。伝えるのではない。
ただ表現して、それを誰かが読んで、たまにちょっとふぁぼられて。
思った通りの意味で伝わっているかはその星ひとつではわかりませんが、とにかくどこか嬉しい。
それでいいのだと思っています。
少なくとも私は。

ここまで読んでいただきありがとうございました。


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密やかなリップ音、静まり返った部屋の中で、囁くように吐き出すように繰り返される『好き』、その先に進めない僕ら。
白く細い指先は君の再奥に触れられないし、君はそれを許さない。
微かに触れた睫毛から伝わるのは叫びだしたくなる衝動。 #poem24
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『睫毛』篇より


written by 豆太

表現のエゴイズム/臣花

初めまして、こんにちは。
臣花と申します。
少しだけ、私にお付き合い頂けたら幸いです。

私は表現することが好きです。
小説、絵、ポエム。
私個人の日常はいつでも表現で溢れています。

そんな私が表現している事柄は世界です。

小説では理想を。
絵では空想を。
ポエムでは妄想を。

それぞれの形で世界を表現します。

理想と空想と妄想。
似たような言葉ですが、持つ意味は全て違います。本来の意味も、私の中の意味も。

小説は自分がしてみたい、したかった世界です。そこに現実味はありません。どちらかといえば、現代ファンタジーのような書きやすく、リアリティのない世界です。
実現不可の世界を、書き連ね、浸る。
実現不可の理想を白い画面に打ち込んでいく。そうやって成り立っているのが私の書く、小説です。

絵はいまだ修行の身ですので、あまり偉そうには語れませんし、語りたくないです。ただ一言いうなれば、絵はイメージから描きます。私個人の勝手なイメージ、空想から描きます。


さて、ポエムが表現する妄想とは。
私にとって、ポエムは感情の吐露です。
小説のように実現不可だった訳でなく、絵のようにイメージであるわけではない。

日常、私が実際に感じた気持ちを言葉に変え、「僕」や「君」という架空の少年少女に託します。そこにちょっとばかしのスパイスを加え、物語のように、情景を埋め込む。そうして、感情を隠す。

知られたくない。けれども、知ってほしい。
晒したくはない。だから、隠す。
身勝手なエゴイズムです。
ただのカッコつけです。

私という、身勝手なエゴイストの馬鹿みたいなカッコつけた妄想。妄想を孕んだ世界。
それが私にとってのポエムです。

表現するのが好きな私にとっての感情の良い吐き出し場。醜い吐き出し方はしたくない。ならば、カッコつけて吐露しよう。
そうやって、ポエムを書いています。
正直、カッコつけれてないときもあったりして、矛盾してたりしますがそこは御愛嬌。ということにして。

私にとってpoem24は感情の晒し場であり、癒しの場でもあります。
24時の逢瀬。
色々なポエムと出会い、感動する。そんな小さな心の波紋が、とても愛おしいのです。



24時の逢瀬がもたらした、出会いをこれからも大切にしていきたいものです。
24時から広まわった輪が様々な物事を通して、更に広まることを楽しんでいきたいと思います。


少しだけ、と言った割には長くなってしまいましたね。
此処まで読んで頂き、ありがとうございます。


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温んだ風が頬を撫でる。
君が最期に遺した海辺は煌々と、僕を慰める。
けれど、僕には必要ない。
( 君がいなければ、僕が此処に居る訳など )
君が遺したモノ全て抱いて鋼を掴む。
滲む赤、指差し、泡を数える。
加算から不可算へ。
泡から滝へ。
瞼から頬を伝い数えられない欠片が流れ逝く。
水を汚した。
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『不可算』篇より


written by 臣花

自分の言葉が誰かを不快にする/和賀

さて、今日はちょっと書きたいことがあって筆をとりました。
「自分の言葉で誰かが不快になる可能性」についてです。
ポエム24(#poem24)は、
何度かtwitterのトレンドにもなったことからも
「ひとが集まる場所」ですね。
開催日の、タグが付与されたPOSTは何百・何千という規模の不特定多数の目に触れるのやも。
どうやら、そんなところまできてしまったようです。

本題に入ります。
或る日突然、
見ず知らずの誰かに自分の言葉を「不快だ」と言われたら、あなたならどうしますか?
「お前には関係ない」
「不快なら読むなよ」
こう返したくなりますよね。

今から決して穏やかではないひどい偏見を書きます。
ぼくは、「言葉でひとを殺すことは、可能」という考えの持ち主です。
勿論直接的な死因にはなりえませんが、例えば、
「言葉で自殺に追いやる」
「言葉で殺人を唆す」
これらに端を発して遂げられてしまった死は決して少なくない筈です。

ぼくは、「もし自分の大切なひとが、誰かの言葉に殺されてしまったら」
という最悪のケースを想像しました。
きっと胸の内だけに留めておくことは出来ないと思います。

ちょっといきすぎた究極的な例えをしてしまいました。
「なにが起こるか分からない」ということ。
一輪の花が咲いた、ただそれだけで胸が苦しくなって涙が止まらなくなるひとがいる可能性を、
雲の切れ間から太陽の光が射してきた、ただそれだけで怒りが抑えられなくなって暴力に走るひとがいる可能性を、
誰かに「ありがとう」や「愛している」と言われた、ただそれだけで死を選ぶひとがいる可能性を、
ぼくは否定できないのです。

長々と書いてしまいましたが一番書きたかったのは下記です。
自分の言葉を「不快だ」と言ったひとを。
そしてそのひとの感性を。
安易に責めないであげてほしいのです。
とはいえ、そんな風に言ってきたひとのことを嫌いにはなるのは仕方ないことですけどね。

平穏を望むぼくたちには難しいことなのかもしれません。
でも、自分の言葉が、自分の大切な誰かの胸に
時にやさしく、時に激しく、胸を打つように届いたときは。
そのときは、思い切りかみ締めていきましょうよ。

これからも、みなさんの自由な詩を読めることを楽しみにしています。

ではまた!


written by 和賀
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