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ポエム24に寄せて/jouki

初めましての方、初めまして。
いつも見てくださってる方、ありがとうございます。
私、joukiと申します。只の詩書きで、只の会社員です。
もし見かけたら
蒸気でもジョウキでも、パパでも何とでも呼んでください。

はてさて、
こちらに載せて頂く事の敷居の高さや
和賀さんの寛大さとは裏腹に、
僕がこれから言わんとしてる事の
文章能力の低さを
寄稿の初っ端から謝ります。

はてさて
言葉というのは、
己から他に対して、伝える為のツールであると思います。
機械がプログラミングされた言葉を出力するのにも似ています。
しかしながら
僕らには血が通っていて、
そこには、何かしらの想いや感情が込められている。

僕が思うに、
想いや感情が込められた時点で
詩であると思うのです。

意識的に想いを込める事、
無意識に想いが込められている事も。
感情や想いを紡ぐ事、紡がない事も含めて。


ポエム24に参加させて頂き感じるのは
お題は同じでも
皆の紡ぐ様々な感情と
想いが似ていても
言葉までもが同じではないという事。

それは
人それぞれの生まれや育ち
感じること感じない事が違うから。
皆の生きてきた証だとも捉える事ができます。

綺麗事だと言われるのも百も承知。
だけれども、
皆の紡ぐ想いや感情、
生きてきた証を
阻止する権利は誰にも無い。

紡げない理由も然りですね。

はてさて、
そんな皆さんの生きてきた証を知り得る事ができて。
そんな僕が此処に居てもいいのだと改めて知る事のできて。

やはり僕はこのポエム24が大好きです。

ここまで読んでくださった方
本当にありがとうございました。
支離滅裂な文章ですみません。

和賀さん、載せていただいてありがとうございました。

何より、みなさんいつもありがとうございます。

またお会いしましょう。
またお会いしたいです。
またよろしくお願いします。

ではでは。


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娘の睡眠場所は僕の左腕の上
息子の睡眠場所は奥さんの胸の中
何を夢見てるんだろう
ときたま笑うその寝顔
いつか一人でも眠れるように
一人で寝てもまた笑えるように
パパとママは
君達のそんな夢を
いつか見たいから
今日も眠るよ
おやすみなさい
#poem24
------------------------------
『睡眠』篇より


written by jouki
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きれいなことばだけ愛されるのなら、/セッカ

私は詩を誰かに与えるものと思って書いてはいない。
ポエムと言い張ってしまえば、詩という形になる。
ぐるぐる渦巻く思考の海でどうしようもないものを供養するために言葉を吐き出す。

あぶく、ぶくぶく、意味もなく。

詩を書くの嫌いだ。
私には個がない。
他人の真似をして他人の才能を間借りした気持ちで本当の自分を出すことが怖くて言葉にする。
私の言葉は私であって嘘つきのぼくの言葉だ。

伝わらなくていい、存在したい、此処にいるだけを認めて!

そんな思いで今日も吐瀉物のように詩を書く。
いや、詩のもどき、詩という殻を借りた自傷行為。
私の中で溢れだす僕を落ち着かせるために詩を作る。
たった、それだけの迷い事。
他の人が考えるよりも軽く言葉を踏みにじる。
私の言葉は私である限り、私の言葉ではなくなってしまう。
保存できない感情を詩に変換して動揺を抑える。

私の詩は吐瀉物だ。
私の詩は自傷行為だ。
美しさなどいらない。
綺麗な言葉だけ愛されるのなら汚い言葉を綴る。
麗しいものに唾を吐く。
愛しい物の首を絞める。

うつくしいひとはわたしではなくてもいい。
うつくしいものがひろがる24時の港。
汚い魚がぎらぎらと哂うように。
そうやって、
そうやって、
妄想の海で自虐を繰り返して
24時の言葉の殺し合いを楽しみにしています。

きれいなことばだけ愛されるのなら、きたなくてきれいで愛されたくない。


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存在の手足は3本、1本は石塊、2本を切開、ついでに処女受胎、概念の懐妊、産声は本能、煩悩の後付け、人類はカスケード、意味のカスタード、命題はいつも甘く、欲張りな僕は泥溜まりの羅列体、囲う空は殻、薫る伽羅、お供の水晶体と名無しのマインドトラベル。 #poem24
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『概念(concept)』篇より


written by セッカ

言葉の世界 / 娯楽

人が言葉を知って早幾年。
それは絶え間なく姿を変え、空気のように人々の中に息衝いた。

今日に続く140字の言葉遊びも、
短歌に始まり、俳句となり、現代へ。

弛むこと無き時間の中で、
ひと時も休むことなく言葉は生まれ、知らず知らずうちに消えてゆく。

それはまるで命があるかのように。


こんばんは。娯楽です。
愚にも付かない能書きにさぞ退屈なさったことでしょう。
ご安心を。この先はもっと退屈です。


さて。飛ばし飛ばしでここまで読んでこられた方は相当な物好き、もしくは折り紙つきのTwitterユーザーとお見受けします。

安易に人をカテゴライズすることは余り好みませんが、
ここで貴方に質問です。 『貴方はどんな人ですか?』

日常に笑いのスパイスを与えてくれるような面白いネタを書く人ですか?
神や仏ですらその答えを見出せなかった恋愛を素敵な詩にして綴る人ですか?

各々あるでしょう。何もこの2つだけではありません。
ユーザーの数だけカテゴリーがあってもいい。それが個性というものです。

そうでなければこの世界、おもしろさなんて無いと思いませんか?

ですが人という生き物は不思議なもので、そうした個性に「嫌悪」という感情を抱きます。
そうした差異に何故か度し難さを感じ、淘汰したがる非常に業の深い生き物だったりします。

しかしどうでしょう。
そうした「嫌悪」をはじめとする有形無形のマイナスな感情が津々浦々で渦巻こうが、TLはお構いなしに今日も流れてゆきます。

世界における『無関心』とは、つまりそういう状態を指すのかもしれません。



ポエム24はそうした風潮への反旗。

個性を肯定し、隣の世界へ心を傾けること。

同時に、世界において『関心』を持つということ。

時計の針が知らせる夜、よーいどんで世界に生まれる個性豊かな詩たち。

人という生き物は不思議なもので、そうした個性に「好意」という感情をまた抱きます。
そうした差異に何故か生きる喜びを感じ、理解したがる非常に素敵な生き物だったりもします。

生まれた140字の彩り豊かなメッセージボトルは、
今日も言葉の世界を彷徨って、誰かの手元へ届くことでしょう。



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恋と愛の違いを探していた私へ。 実はまだよくわかっていません。 それでも、想うよりもずっと、恋も愛も素敵なものらしい。 貴方にも届くように。 『ハロー。』 #poem24
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『あの日の自分に』篇より


written by 娯楽

意味をもたせるには早すぎる絵画的散文詩/ドロレス

私はもともと文章を書くのが得意ではない。国語のテストの書き問題なんかは全く無視して提出したほど文章力がない。
それを変えたのは中学の副担任で、国語担当の先生だった。私は今や思い出せない程の些細な何かをきっかけに、彼女に恋をした。
彼女に気に入って欲しい、その一心で書き問題に答えるようになった。文章は相変わらず主題からかけ離れてしまうが、それでも彼女に採点してもらえるならと書いた。しかし、というかやはりというか、話は膨大に膨れ上がり、最終的に主題からかけ離れてしまう。
彼女は文芸部の顧問だった。私は美術部の部長だった。部室は隣同士。すきあらば彼女に話しかける。私の通っていた中学校では部活の掛け持ちが禁止されていた。私はせめて彼女の絵を描きたいと頼んだ。最後の文化祭には、私の描いた愛しい先生の油絵が飾られた。
そして、初めて書いた詩は、彼女への想いだった。これは彼女へは見せていない。卒業文集にも彼女への想いを綴ったが提出しなかった。
そこから私は詩について深く考えるようになった。文章が書けなくても、詩ならば簡単だと思った。

詩を書く時に気をつけていることがある。それは聞こえの良い単語と繰り返しのセンテンスとリズム。
同じ言葉を繰り返すことにより、想いが重くなると思っている。そしてリズムは、声に出した時、心地の良い音でなくてはならない。
擬音でもなんでも、耳に心地の良い音は好きだ。
そしてその言葉、単語に意味がなくとも、聞こえの良い音だけを選ぶ。
意味を込めた詩は重くなる。これは私にとって致命的だ。

意味をもたせるには私はまだ幼すぎる。だから見栄えのいい文字だけを拾い集め組み立てていく。
ただ単に愛を語るだけなら誰でも出来る。絵描きを目指していた人間として、そんな簡単なことを私はしたくない。
だから意味のない単語を連ねたり、めちゃくちゃな擬音を混ぜたりする。
先述のとおり、私には幸か不幸か共感覚で文字に色がついて見える。
それを考慮した上で単語を並べていくと、なんと絵画的なものか。
私は絵が描けなくなってしまった。その代替行為として詩を書き始めた。文字で絵を描くことを始めた。
シナスタジアで見るポエム24は、私にとって美術館のようなものである。
そしてこの目で最も美しく見える絵画は、セッカさん(@0vega)の詩だ。(聞いた話ではセッカさんにも共感覚(色聴)があるらしい。)
ポエム24のタグを辿り、私の目に美しい絵画をフォローしていく。この楽しみ方が間違っているか否かは各々の判断に任せたい。

私の詩は他人の理解を求めないのだ。
意味をもたせた時、その詩には伝わってほしい人間にだけ判るような暗号じみた言葉で想いを綴る。
それは単なる自己満足。伝わってほしい人間とは実のところ私のことなのだ。
私は私が好きだ。私が他人に恋をする時、それはナルシシズムの醜悪な変形が招いたことだと思っている。
そんなものを愛しているはずの人間に伝えたくない。
だから私はいつも適当な言葉を選んで文字を綴る。裏に想いを込めながらも、それを気付かれないように複雑化する。
恥ずかしがり屋だから、素直な気持ちを伝えられない。ラブレターさえ書けない。
だから意味のない綺麗なだけの言葉を並べて組み立てていく。それが私の詩だ。
詩とは、言葉とは、いかに脆弱な存在なのかを痛感した出来事があった。
声に出したほうが早いのだ。「好きです」たった四文字で伝わる。
そしてもっと言えば、声に出して伝えるよりも、たった一度のハグで何もかもが伝わることだってある。
だが、それでも私は詩作をやめない。絵をまだ諦め切れないからだ。

しつこいが、私は詩に意味を持たせたくない。散逸的に構造されたバラバラで意味不明の文章であってほしい。
それこそが私ができる、私が愛した絵画たちへのメッセージでもあるのかも知れない。
文字で絵画を描く、私にとって詩作とはそういう行為であってほしいと願う。


written by ドロレス(twitter ID/ Do1ores)

ポエム24と自ブログの関係性とTwitterでの出会いと俺とお前と大五郎/ドロレス

ポエム24での詩は、Twitterの構造上140文字という制限がある。そこにタグをつけるから更に縮められる。
短い文章で詩を書くのは得意だが、そこに「お題」がついてくると、これがなかなか難しい。

私は基本的にTwitterに投下した詩を自分のブログにそのまま移そうとは思わない。
Twitterでのポエムは一期一会のものだと思っているからだ。それでも何気なしに投下して気に入ってしまったものは、再構築して自ブログに再掲する。
私にとって自分のブログは聖域なのだ。だからこそ楽をしたくない。
Twitterは楽だ。私は基本なにも考えずに綺麗な色の文字をポンポンと出してそれを打ち込んでいくだけで一つの詩ができる。
逆に考えると、ものすごく悩んで書いた詩には面白みとスピード感がないのだ。

昨年5月、ブログで書いた詩は200ほどになろうか。ノリにノッていた。それこそTwitterのノリで書いたほうがいいんじゃねえの?ってくらいのノリでポンポンと言葉が出てきた。
これは当時私がニートだったせいもあるだろう。暇さえあれば詩を書いた。
無駄な時間とは、創作意欲を刺激するものである。

とかく私はスピード感も大事にしたいと思っている。
ポエム24のお題が出たらすぐさまポイポイと言葉を放り込んでいく。そして下書き保存。24時を待つ。
過去の経験からして、私が真剣に悩んで書いた詩よりも、適当に早撃ち乱れ打ちした詩の方がウケがいいのだ。
それに対しては自分もそう思っているので、なんとも言いがたいのだがw

しかしたまに悩むこともあるし、色をつけることが出来なくもなる。絵画的散逸文章でありたいのに、そうあれないこともある。
そんな時は何もせずに眠るわけではないが、「所詮Twitterだ、別に俺の詩なんか誰も気にしやしない」と割りきってぶん投げる。
フォロワーさんには申し訳ないが、私にとってTwitterとは、Twitterで書く詩とはその程度のものだ。
それでもポエム24というタグに出会い、様々な詩人に出会い、私の世界はさらに広がったのだ。
Twitterも案外バカに出来ないものだな、と思った。
(ごめんなさい、もとが2ちゃんねらーなので馴れ合いとかがすごく苦手なんです)
(更に言うと、@飛ばしたり飛ばされたりすると恐怖するくらいの人見知りなんで)
(未だに2ちゃんねるに書きこむのも手が震えるくらいなんですネット歴10年ですがネット怖い)
(しかし12歳です白目)

お題が出されて24時、私のTLは夜の美術館になる。絵画の羅列。シナスタジアで見る詩の美しさ。
美しいものだけを拾っていく。(フォローしていく)
目の保養だ。だからこそ、サイトを持って欲しいと思う人もいる。誰とは言わないが。
私は基本的にふぁぼって言うんですか?お気に入り追加は自分のツイートしかしないので、和賀さんのトゥゲッター?を見ることしかできない。
(すみませんついった3年目ですけど未だについった世界の意味分からんこと多いです)
ネットの世界は広い。Twitterの文字数制限の中で闘うのも楽しいけれども、サイトやブログを持とうよ!とも思うのです。私はうまく両立出来てないですが。
Twitterやポエム24に対するポエムはブログに載せるつもりはないけれども(その一期一会を、瞬間を大事にしたいから)、詰まった時のリハビリや、美しい絵画的文字列を探すためのツールとしての使用も面白いのではないのかと思う。
私にとってはその程度の存在だが、逆にその存在が大部分を占めるようになってきたとも言えそうだ。
24時の速度が、私を駆り立てる。

「文句があるならロワンディシーにいらっしゃい!」


written by ドロレス(twitter ID/ Do1ores)
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